力学整体師・冨岡正喜のプロフィール詳細

このカテゴリでは、力学整体の代表で力学整体研究所の所長(整体院の院長)である力学整体師・冨岡正喜を紹介しています。

冨岡正喜自身、本人による挨拶はこちらのページ「力学整体師・冨岡正喜の自己紹介」をご覧ください。

力学整体師・冨岡正喜の経歴

新しい医療(各種療法・代替医療)の世界を知る

冨岡正喜の写真その1代表の冨岡正喜は大学を卒業するまでは医療(治療・処置)といえば医学(現代医学・西洋医学)しか知らず、そのため医学が医療の全てだと思い込んでいて、それ以外に医療があるなどとは全く考えたこともないほど無知であった。

もちろん、柔道整復(骨接ぎ)や按摩(あんま)・指圧・マッサージ、鍼灸などの存在は知っていたし、民間療法の存在も一往知ってはいたがほんとんど無関心だった。

ところが、日本大学法学部法律学科卒業後、偶然ふと目にとまった五味雅吉氏の『腰痛 よく黙っていたもんだ―このおもしろ治療法知ってるか』(青春出版社、プレイブックス、新書)を手にしたことから、現代医学(西洋医学)が医療(治療)のすべてではなく、現代医学(西洋医学)以外にも医療(治療)の世界(代替医学・代替医療・代替療法・各種療法・民間療法・手技療法・整体・カイロプラクテック)があることを初めて知る。

五味雅吉氏の自然良能会の支部で『骨盤調整法』を体験し、約2年間施術を受け経験する。

礒谷療法(礒谷式力学療法)との出会い

その後、礒谷公良氏の『奇跡の礒谷療法』(祥伝社、ノンブック)という1冊の本に出会い、礒谷療法(礒谷式力学療法)の「股関節転位理論」に感動し、1989年(平成元年)から、東京の中野にある礒谷式力学療法所へ、約1年間ほとんど毎日のように通所して、身をもって矯正治療を体験をする。

その間に、本人は屈伸運動を、1日に約8時間近くを毎日実行した(この時の体験は、その後の整体指導などで非常に役に立っている)。

礒谷療法師(整体師)になる

その通所から1年後、礒谷式力学療法総本部の2代目の礒谷俊子(礒谷圭秀)院長よりこの仕事を手伝ってみないかという話があり、本部の弟子となる。

当時は、礒谷療法(礒谷式力学療法)の創始者で礒谷療法所(礒谷式力学療法所)の初代所長である礒谷公良氏の頃の職員の先生方も6人が残っておられ、その諸先生方に積極的に質問をして、先生方からいろいろなことを教わる機会を得るという幸運に恵まれる。

その後、先代の頃の先生方の大半が退職されて、礒谷療法所(礒谷式力学療法所)も礒谷式力学療法総本部と屋号が変わり、弟子から総本部の正式な職員となり、礒谷療法(礒谷式力学療法)の名義(名称)して独立・開業・営業できる『礒谷式力学療法 法術師 正師範』の資格を取得する。

在職中は、本部に残られた高弟の菊池秀男副院長と反中武雄先生のお二人の先生を師事して修行を重ね、総本部の治療所で患者さんに教えられながら約5年間の臨床経験を積む。

同時に、総本部の指導者である『教範』として後進の後輩内弟子や学習・勉強に来た講習生の技術指導に当たる。

その当時、総本部に残って常勤している専任の先生というのは、菊池秀男副院長と代表の冨岡正喜の2人だけになってしまっていたのである。

他の代替療法の体験学習

その間に、

  • 東京・秋葉原の津田温故堂へ約1年間通い渡辺栄三氏から橋本敬三氏の『操体法』を学んだり、
  • 自然良能会の五味雅吉氏の『骨盤調整法』の東京総本部での講習会へ参加したりや
  • 野口晴哉氏の『野口整体』の本部道場へ参加したり、
  • 蓑原右欣氏の『ローリング療法』、
  • 日本自然食研究の創始者・栗山殻一氏の後継者で栗山式食事研究会二代目会長・栗山昭男氏の『栗山式食事療法』の講習会に参加したりする。

また、

  • 亀井進氏の『身体均整法』の施術所、
  • 安久津政人氏の『十字式健康法』の会場、
  • 蓑原右欣氏の『ローリング療法』の東京ローリング健康センター(ローリング療法本部)、
  • 林宗駛氏の『身心相療方(しんそうりょうほう、旧:無痛バランス療法)』の院(療方所)

などの施術を体験する。

その中で、野口晴哉氏の『野口整体』と橋本敬三氏の『操体法』を知り、自身の整体の思考・思想に深く影響を受ける。

特に、野口晴哉氏の『野口整体』の影響は大きく、自身の整体師としての拠り所・方向性の指針となっている。

自律整体との出会い

また、峯村浩氏の『自律整体健康法』という本を知り、自律整体の施術を体験するとともに、「筋硬縮理論」に深い影響を受ける。

この峯村浩氏の理論は衝撃的な出合いとなって、後の力学整体の新理論への展開という、その後の大きな転機のきっかけとなる。

整体院の独立開業

長年お世話になった礒谷療法総本部を退職した後、1995年(平成7年)に地方の地元である兵庫県赤穂市にて独立開業する。

独自の整体を発見考案

独立開業してから2年後に、これまで長年、不思議に思っていたことや、原点である礒谷療法(礒谷式力学療法)の旧理論ではどうしても説明のつかない現象など、謎が解けないまま抱きつづけてずっと温めていた疑問をやっと解決できる新理論を考えつく。

その結果、整体施術の名称も、旧理論にもとづく礒谷療法(礒谷式力学療法)から、新理論にもとづく力学整体へと変更して、新理論にもとづいて力学整体の施術と指導を始める。

力学整体の研究

その後、

  • 平澤興(神経解剖学者)の「骨格筋の支配には自律神経の関与」説、
  • 福田精(平衡生理学者)の「姿勢反射(緊張性反射)」、
  • 檜学(平衡生理学者)の「頸性めまいならびに腰性めまい(深部受容器[頸と腰]より発現する体性神経[脳幹や小脳の機能異常])と自律神経反射」説、
  • 岡林龍之氏の『アヒムサ健康法』」を通じて「人間科学協会」会長でカイロプラクターの大湊大鑑氏の「短縮側理論」、
  • ジョン・E. サーノ博士の「TMS理論(緊張性筋炎症候群)」、
  • 松尾毅氏の筋肉トリートメント『MAGIC』の「筋肉原因説[筋肉拘縮説]」(オステオパシーのカウンターストレイン)、
  • 整形外科専門医・加茂淳氏の『トリガーポイントブロック』の「筋痛症(筋肉スパズム[けいれん]による痛み)」、
  • 戸澤洋二氏の『脳の勘違い』の「痛みの回路(I形・J形・U形)」と「痛みの環(ループ)」「条件反射痛」「ペイナーズハイ」、
  • 山田洋氏の『自然形体療法』の「身体脳」による「不必要な間違った姿勢の学習」と「身体の過剰警戒反応」、
  • 理学療法士のロビン・アンソニー・マッケンジーが開発した「マッケンジー法(マッケンジーエクササイズ・マッケンジー体操)」、
  • カイロプラクターの保井志之氏の脳に学習された誤作動記憶の回路を書き換えて生体エネルギーのバランスを調整する「PCRT療法(Psychosomatic Conditioned Reflex Therapy、心身条件反射療法、ニューロパターンセラピー)」、
  • 心臓外科医だった福増一切照(ふくます・さいしょう)[福増広幸]氏主催の「全生医療」の『触手療法』の筋肉に疲労が蓄積し慢性化した状態、専門的には「収縮の加重」として説明されている「慢性筋肉疲労」説

などを知り、それらを参考に新理論を深める。

力学整体の立処(立ち位置)と方向性

力学整体の施術と指導の経験を積み重ねるうちに、力学整体を病気や症状などの治療目的ではなく、体縮と体癖を解消してQOL(生活の質)を向上を実現するための体育(健康法・養生法)として活用するように方向を転換する。

そして、現在、力学整体を自ら実践しつつ、より進化・発展させるべく研究活動をし、力学整体は本物の根本療法であるにもかかわらず、なかなか皆さんがそのことを理解しにくいため、力学整体を少しでも理解していただけるように、少数の患者さんを対象に力学整体の啓蒙と施術・指導を生きがいにして日々を過ごすに至っている。

力学整体師・冨岡正喜の履歴

1984年
日本大学法学部法律学科卒業
1989年~1990年
礒谷式力学療法所通所
1990年~1995年
礒谷式力学療法東京総本部勤務
1995年9月
礒谷式力学療法 力学整体院創立
1995年10月
礒谷式力学療法 力学整体院独立開業
1997年4月
力学整体の新理論を発見
力学整体と独自の整体法(整体術)の名称を命名
1997年4月
力学整体研究所と屋号を改名

力学整体師・冨岡正喜のプロフィール

名前(氏名)

冨岡 正喜(とみおか まさき / トミオカ マサキ)

社名(整体院名)

力学整体研究所(りきがくせいたいけんきゅうしょ / リキガクセイタイケンキュウショ)

肩書き(職種・役職)

肩書き:あなたのQOL(生活の質)の維持・向上を実現する生きがい療法を施術・指導する整体師

職種:力学整体師

役職:力学整体 代表、力学整体研究所 所長 兼 院長

生まれた年と年齢

1960年[昭和35年] 11月生まれ(57歳)

出身地と現住所

出身地:兵庫県赤穂市

現住所:兵庫県赤穂市

出身校(最終学歴)

赤穂市立赤穂幼稚園

赤穂市立赤穂小学校(赤小)

赤穂市立赤穂中学校(赤中)

兵庫県立赤穂高等学校(赤穂高校・赤高)

早稲田学院

東京法科学院司法試験科

日本大学法学部法律学科

資格と特技

資格:礒谷療法師

現在熱中していること

特になし

大好きな人・尊敬する人

両親

兄弟

趣味趣向

映画

読書

将棋

囲碁

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