治療の本質論 - 治療とは何か?
ここでは、整体を含め治療全般に共通することで、これまで誰も考えることのなかった「治療の本質」ということについてお話していこうと思います。
これから述べていく内容は、力学整体師の冨岡正喜が1997年(平成9年)の春にやっと気がついたことです。
ですから、私がこれからお話する内容については、読者の皆さんはこれまで聞いたことのないものになるはずです。
治療家の先生方でも、このことに気がついている先生はほとんどいらっしゃいませんし、たとえ部分的に気がつかれていても、これからお話しする内容ほどには深く追求されて考えておられませんでしょうから、おそらく力学整体師の冨岡正喜がはじめてまとめ整理した考えということになります。
治療と癖(くせ・クセ)
治療が癖(くせ・クセ)になる
みなさんの中には、整体やカイロプラクティックなどを含めいろいろな施術や矯正治療を受けられたことがある人もいらっしゃるかと思います。
その中で、腰痛や肩こりなどで困っていたところ、ある治療を受けたら、1回の治療で治ったとか、ものすごく効いたとか、体がとても楽になったなどという話を聞いたり、体験をされた方もいらっしゃると思います。
しかし、もし、そうした治療でいったんはよくなった症状が、元に戻ったとしたら、その人はいったいどのように考えるでしょうか?
みなさん、実は、ここからどう考えるかが重要な点なのです。
結論から先に言いますと、「また、あの治療を受けて治してもらおう」と考えるのではないでしょうか?
まず、おそらくは、ほとんどの人がそうだと思います。
そこでは、なぜ症状が元に戻ったのかということについて見直しをされる人はいないはずです。
そして、また同じ治療を受けてよくなられるでしょう。
まあ、これだけの話だったら、何も問題はないわけですが、実は、治療には、これだけでは済まない深刻な問題があるのです。
というのも、今回の治療では、前回の治療を受けた後よりも、早く元の状態に戻りやすくなるからです。
これは、体が「治療を受ける」ということに対して順応し始めるからですし、また体質が根本から改善されていないからでもあります。
そのため、治療を受けて一時的に症状は改善するものの、そのうち症状が再発してきて、また治療を受けるということを繰り返すようになります。
それだけではなく、こうしたことを繰り返していると、治療を受けてから症状が再発するまでの期間がだんだん短くなって来るのです。
つまり、治療を受けなければならない周期が、徐々に短くなるということなのです。
こうなると、治療と再発の繰り返しになりますから、はっきり言って、その人は治療がくせ(癖・クセ)になってしまっていると言わざるを得ません。
せめて、このへんで気がついてくれればいいのですが、治療を受ければある程度は楽になりますから、なかなか気がつきにくいのです。
世の中に、まだこうした現象についての知識が普及していませんし、専門家の先生の中にも、こうした知識がない先生もいらっしゃいますから、一般の人が気がつかないのも無理のないことかもしれません。
治療がくせ(癖・クセ)の状態になってくると、治療を受けても以前ほど楽にはならなくなっていますから、そういう人たちは、こうした現象をどう解釈するかというと、どうも最近は「治療が効かなくなってきたな」というふうに受け止めることになります。
そうなると、もっと治療を効かせてもらうために、施術を強くしてもらおうとか、別の治療院へ行こうなどと考えるようになります。
そして、再び治療を受けることになるわけですが、それからどうなるでしょうか?
もう、ここまでくれば、みなさんもお分かりなるかと思いますが、さらに元の状態に戻る期間が短くなって来て、治療を受けなければならない周期は早まることになります。
これを繰り返すたびに、ますます期間が短くなって周期は早くなってくるという結果になってしまうのです。
このようにして、治療を受けることによって、かえって体は悪くなっていくのです。
例えば、初めの頃は月に1回で済んでいた治療が、週に1回は通わなくてはならなくなってきて、そのうち毎日通わなければ治(おさ)まらないようになってくるのも、そのためなのです。
このような現象を、力学整体では『治療がくせ(癖・クセ)になる(治療習慣性)』と言っています。
薬物中毒とか薬物依存症という言葉があるように、この治療がくせ(癖・クセ)になった状態を力学整体では『治療中毒』とか『治療依存症』と表現したりすることもあります。
これは、治療を受けることによって、治療を受けないと体が保(も)たない身体になってしまっているわけです。
どうしてこんな馬鹿げたことになるのかについて理解しようとすれば、どうしても治療というものの本質について深く考えなければなりません。
ですから、治療の本質という問題は避けては通れませんので、それはおいおいお話するとして、まずは、『病と治療の悪循環』についてからお話してゆきたいと思います。
病(病気・症状)と治療の悪循環
いろいろな治療法を受けたことのある人ならご存知だと思うのですが、ほとんどの治療法には患者さんの生活を見直そうという考え方がありません。
つまり、施術者は施術をしたらしっぱなしだし、患者さんのほうも施術を受けたら受けっぱなしの状態です。
そこには、なぜそんな体になったのかとか、治療を施すだけでなく治療後にまた元に戻ってしまわないようにするにはどうしたらいいかとか、ある症状はよくなったけれども体質から改善されていないので後からまた別の症状が出て来てしまうことがあるとかなど、全くといっていいほど考えられていません。
先ほどもお話したように、治療を受けて一時期は症状が改善するものの、また症状が再発することの裏には、本来その症状を作って来た大本(おおもと)の原因があるからです。
その原因を取り除かない限り、また元に戻るというのも当然と言えば余りにも当然な話なのです。
その原因というのは、普段の日常生活の中にあるのです。
しかも、長年にわたって絶えず繰り返される日常生活の習慣になっている行為が原因となっているのです。
ですから、せっかく治療を受けても、悪い生活習慣を改めない限りは、再発を繰り返すのはごく自然なことなのです。
それなのに、どういうわけか治療だけで体を治そうと考えている人が多いのです。
日常生活の習慣に問題があるのに、そのことを無視して、治療だけで解決できると思っているわけですから、これでは『病と治療の悪循環』を繰り返すことになっても仕様がありません。
そもそも、病になる根源の1つには、その人の生活習慣があるわけですから、その人の生活習慣がよければ悪くならなかったはずです。
病になるか、ならないかといいうことは、ここに1つの大きな原因があるわけです。
誰もが、みんな体を悪くするわけではありません。
生活習慣に問題がある人が体を悪くしやすいのです。
たとえば、腰痛の人は、腰の痛みを治せばいいと考えています。
しかし、誰もが腰痛になるわけではなく、生活習慣の中に腰痛になる原因がある人が腰痛になりやすいのです。
ですから、そういう人は、まず本来の原因となっている生活習慣を見直すべきなのです。
そうしないと、治療で一時的に腰の痛みを止めたとしても、腰痛を起こす原因となっている生活習慣を改めない限りは、本当に腰痛をなくすることはできないのです。
ですから、治療ということが分かってくると、第1に、本来の原因である生活習慣を改善することこそが最優先されるべき課題なのだということが理解できるはずです。
そして、治療ということは、その後で考えるべき第2の問題なのです。
このことが、治療というものを考える上で、とても重要なのです。
それを、治療だけで、何とかできると考えているとしたら、それはまだ治療というものが分かっていない人なのです。
生活習慣が原因になっているような病は、その悪い生活習慣は長年にわたって繰り返し行なわれているわけですから、体の悪いところも慢性的な状態になっています。
そういう人は、治療だけではなかなか治りにくいのです。
それに対して、事故などが原因で、瞬間的に体を悪くしてからそんなに時間が経過していないような場合は、比較的早く治りやすいのです。
しかし、長年持病に悩まされている人というのは、治療しても時間がかかるし、いったんは良くなっても元の生活に戻れば、悪い生活習慣を繰り返すことになりますから、また再発してしまいます。
悪い生活習慣が原因なのに、それを放置したままいっこうに改善していないわけですから、これではどんな治療を受けても良くなるはずがありません。
いくら良い治療を受けても、自分の悪い生活習慣で悪い状態にしているわけですから、それで治せると考えるほうに無理があることくらい理解できるでしょう。
それなのに、治療だけで治せると考えているとしたら、やはりその人は、まだ治療ということがよく分かっていないのです。
本当に治療ということが理解できれば、根元にある悪い生活習慣というものを根本から直さなければ駄目なのだということが理解できるはずです。
ですから、こうした根源となっている生活習慣に対する配慮がなされていない治療というのは、片手落ちの治療だと言わざるを得ません。
また、こうした生活習慣に対する指導がなされてない治療というものも、不完全なものだと言えるでしょう。
体癖からの脱出
力学整体では、せっかく矯正しても、長年の悪い習慣動作で、また悪い状態に戻ってしまうという事実を重視して、日常生活での習慣動作が徹底して工夫されているのが最大の特徴です。
それこそが、力学整体が他の治療法と大きく異なる点なのです。
それぞれの人には、長年の習慣動作で作られ、身に付いた「身体のくせ(癖・クセ)」というものがあります。
それを、力学整体では『体癖(たいへき)』と呼んでいます。
ちょうど植物の幹や茎などが曲がっていたりするのと同じように、身体にもくせ(癖・クセ)になっている状態が存在するのです。
力学整体では、『体縮(たいしゅく)』が固定した状態を、『体癖』という形で捉えているわけです。
その「体癖」が悪いものであれば、外見上は「姿勢の悪さ」や「身体のゆがみ(体形の歪み)」という姿勢や体型となってあらわれますし、運動面では「体の動きの悪さ」という関節機能障害となってあらわれます。
そして、「体縮」がその人の体の許容範囲内であればいいのですが、ある一定の限度を越えると、今度は「体調の悪さ」としてさまざまな症状が出始めます。
それをそのまま放置しておくと、ついには「病気」や「疾病」、「疾患」ということになってしまいます。
そこで、治療を受けることになるわけですが、体を治すために始めた治療によって、一時期は楽になっても、長い目で見れば「病気と治療の悪循環」を繰り返すことになったり、治療がくせ(癖・クセ)になり「治療中毒」や「治療依存症」に陥り、治療を受けたばかりにかえって悪くなってしまうということがあるわけです。
それでは、なぜこんな馬鹿げたことが現実に起きてくるのでしょうか?
その原因は、これまでの治療が、「病気」というかたちで症状の出ている個所とか局所のみを治そうとか、「姿勢の悪さ」や「体の歪み」だけを正そうとかというアプローチしか行なってこなかったからです。
それでは、「体癖」が残されたままの状態ですから、いくら治療をしてもまた元の悪い状態に戻ってしまいます。
そこで、力学整体では、この「体癖」というものに着眼して、『悪い体癖』から『良い体癖』に作り変えるため自己整体のエクササイズを指導しているのも、実はここに大きな理由があるからです。
ところが、この「体癖」というものを作り変える作業というのが大変なことなのです。
「体癖」というものは、長年月にわたって作られて来たものですから、作り変えると言っても、そう簡単に一朝一夕というわけにはいかないのです。
しかも、この「体癖」は自分が作って来たものですから、人にやってもらうだけの治療では、「体癖」を直すといってもどうしても限界があるのです。
だから、この「体癖」を修正するためには、どうしても自分で「体癖」を修正するための体操と運動をやらなければなりません。
そして、この「体癖」を作り変えるためには重要なポイントが2つあります。
それは、全身のバランスがとれた良い「体癖」が出来上がるまでは、
1.できるだけ矯正の間隔はあけないで詰めて行なう
2.反復継続して、繰り返し行なう
というものです。
これらの「体癖」を作り変える2つのコツは、人にやってもらうだけの治療では、どうしたって足りないのです。
「悪い体癖」が修正されて、「良い体癖」が出来上がるまでは、自分で頑張っていただかなくてはなりません。
しかし、「悪い体癖」が修正されて「良い体癖」が出来上がれば、元の悪い状態に戻るということもなくなって来きますから、それからは、それを維持するようにさえすればいいわけですから楽です。
治療と刺激
治療と刺激
これまでは、治療がクセになる原因として、せっかく矯正治療を受けても、また元の悪い状態に戻っている治療の現場の現実についてお話してきました。
なぜ元の悪い状態に戻ってしまうのかについては、症状を止めるだけではなく「体癖」までも修正しておかないと、生活習慣に問題があると、また元に戻ってしまうことを指摘してきました。
これでは、矯正治療というものが「砂の城」と同じことになってしまいます。
そこで、力学整体では、矯正された良い状態をなるべく維持し、矯正前の元の悪い状態にできるだけ戻さないための工夫が徹底されていることも説明しました。
簡単な日常生活の習慣動作や姿勢を守るだけで、それが実現できるのです。
しかも、力学整体は、「体癖」までも修正することができるため、矯正によって良い「体癖」ができてくれば、バランスのとれた「体形」を維持できるようようになるため、元の悪い状態に戻らなくで済むようになることが可能です。
そうなれば、日常の生活習慣動作や姿勢を少しくらい間違えても、矯正されて身に付いた良い「体癖」が良い状態に戻してくれてそれを維持してくれるので、大丈夫ということにもなってきます。
そこまでくれば、日常の動作や姿勢にもそれほど気を配って注意をしなくても、だいたい平均して動作や姿勢をすればよくなり、また臨時に、その時の体の状態に応じて臨機応変に動作や姿勢を使い分けてすることもできます。
それでは、生活環境を改善し、生活を根本から正せば、「治療がクセになる」問題は解決され、治療はクセにはならなくなるのでしょうか?
治療がクセになるという問題は、そんなに単純なことではありません。
答えは、ノーです。
どんなに生活環境を改善し、生活を根本から正そうと、依然として「治療がクセになる」という問題が解消されるわけではないのです。
実は、よく考えてみれば気がつくのですが、治療がクセになるのは、治療を受けたことが背後の原因としてあるわけです。
とすれば、治療そのものに問題があるのだと考えざるを得ません。
しかし、治療に問題があるとしても、一体全体、治療のどこに問題があるのでしょうか?
ここで、よく考えてみましょう。
そうすると、治療に関して『あること』に気がつくはずです。
つまり、それこそいろいろな治療法がありますが、あらゆる治療法というものが『刺激』を利用しているということです。
この刺激ということなくしては、そもそも治療ということ自体が成り立たないという事実があるということです。
この刺激というものがなくては、自然治癒力も働いてくれません。
治療とは、病気で働きが悪くなった自然治癒力を刺激することであるといえます。
刺激こそは、治療を根底から支えてくれるものなのです。
だから、治療の本質は、刺激であると言えるのです。
直接(刺激)法
刺激の与え方は、それぞれの治療法によって、それこそ違いがあります。
刺激を与える時間、刺激を与える場所、刺激を与えるもの、刺激を与える種類・方法・手段などにおいて、それぞれの治療法で異なります。
それでも、やはりどんな治療法でも刺激を与えるという点では共通しています。
そして、さらに大部分の治療法が、からだに対して外部から、からだにとって異質の刺激を直接に与えることを目的としていることに気がつきます。
このように、体の外部から刺激を直接与える治療の方法を『直接(刺激)法』と、力学整体ではいいます。
そして、人間というものは面白いもので、からだに直接刺激を与えてもらうと、何だか治療をしてもらったという気持ちになりがちです。
確かに、からだに刺激を直接与えてゆくと治癒能力は高まります。
しかし、刺激を繰り返し与え続けると、それに反発する作用が体内につくられ、反対に働く力が出来て、からだが刺激に適応(『刺激適応』)してしまい、刺激に対する耐性(『刺激耐性』)が体に出来てしまいます。
その作用によって、かつてはからだにとって刺激だった治療による刺激も、刺激にならないような力がからだにつき(『刺激飽和状態』)、より治療の刺激が必要となるわけです。
直接、からだに刺激を与える治療法というのは、治療を受けた最初の1回目の時が、刺激としては1番新鮮で、まだからだがその刺激に慣れていないので、1番効果が出やすく、効果率が高いのです。
あの治療は、本当に1回で効いたというような劇的なことがあるのも、そのためなのです。
ところが、2回目、3回目と「直接(刺激)法」の治療を受けてゆくと、その刺激にからだが次第に慣れてきてしまうため、刺激による治療の効果も徐々に低下してきます。
さらに、治療を受け続けると、からだに対する刺激としてはゼロに近づいてゆき、治療の効果がなくなってしまいます。
しかも、その上で、治療を受け続けるということになると、治療の刺激そのものが人体にとって有害となり逆効果となるという事態に到ってしまいます。
これを、力学整体では、「直接刺激の限界効用逓減の法則」といいます(限界効用とは、1回の「直接(刺激)法」によって得られる治療の効果のことをいいます)。
直接、からだを刺激すると、それに対する反発力が体に出来てしまうのです。
そうなると、治療の刺激はからだにとって刺激ではなくなっていますから、いくら治療で刺激を与えても効果は薄くなってしまいます。
そうした場合、治療の効果を上げようとするにはどうするでしょうか?
からだにとって刺激でなくなったものを再び刺激となるようにするには、
1.刺激を与える周期を短くしてゆく
2.刺激を強く、多く与えてゆく(与える刺激の量を増やす)
3.刺激を与える場所を変える
4.それらを組み合わせて刺激を与える
5.別の新しい刺激を与える(他の治療法を行なったり、受ける)
という5つの手段や方法があります。
こうして、治療のためと称して、からだに直接刺激を与え続けることは、『刺激の悪循環』を生み出してしまいます。
刺激に馴れてしまった生体は、もっと強い刺激を求めるようになり、刺激を求める回数も増えるようになり、さらには新しい刺激を求めるようになるのです。
そうなると、かつては自然治癒力を働かせるために刺激を与えて治療していたはずなのに、それが治療によって刺激を与え続けていると、今度は刺激が与えられないと自然治癒力が働かなくなってきて、自然治癒力は怠けるようになるという結果になってしまうのです。
本来は、治療の目的で、自然治癒力の働きを助けるために刺激を加えていたはずの治療行為が、かえってそのために自然治癒力を自力と独力で働けなくしてしまっているという逆の結果となっているのです。
こうなると、怠慢になって自力と独力では働けなくなってしまった自然治癒力に働いてもらおうとしたら、絶えず治療による刺激を与え続けてゆかなければなりません。
刺激を与えれば、与えるほど、自然治癒力というものは、ますます働いてくれなくなってしまいますから、のべつ幕無しに休むひまもなく、もっともっと治療の刺激を与え続けないといけなくなります。
このようにして、治療の刺激がクセになって、『刺激中毒』、『刺激依存症』となって、『治療中毒』、『治療依存症』となってゆくのです。
手のはたらき
機械や器具を利用して、治療を行なったほうが、人間が手で行なう治療よりも、正確なので優れているのではないかと考えている人がいます。
たとえば、機械や器具を応用した、いわゆる物理療法の代表的なものにバイブレーターがあります。
このバイブレーターを、ご家庭でお持ちの方も多いことかと思います。
ところが、このバイフレーターは、振動の波長がその人に合わないと、かえって筋肉は緊張してしまい、弛緩するどころか振動が苦痛になることがあります。
「直接(刺激)法」の治療では、生体に外部から生体にとって異質の刺激を与えるために、与える刺激がその人に合わない場合には、逆効果となることもあるという深刻な問題を抱え込んでいます。
そして、合ったら合ったで、すぐ馴れてしまいます。
機械や器具を利用した治療法は、人間が治療するよりも一見正確で規則的であるのでよさそうに思えますが、それがかえって刺激としては単調になってしまうのです。
それだけに、機械や器具を使った刺激は、人間の手が与える刺激よりも早くからだが適応してしまい、刺激の効果は減少してしまいます。
そして、この性質は、一個体だけでなく、細胞の1つ1つも持っていると考えられます。
1つ1つの細胞は、刺激に対して反応を示すと考えられます。
たとえば、薬品などは、純粋にされ、均質化されて合成されていますから、そうした薬品ほど早く細胞は適応して、薬品に対する馴れが生じて来て、薬品が効きにくくなることがあるのではないでしょうか。
それに対して、生薬(漢方薬)に馴れにくいというのも、それだけ不純だからということが考えられます。
この点、「按摩(あんま)・指圧・マッサージ」などの揉み療治や「鍼(ハリ)・灸」などは、用具や方法が素朴なので、そのたびに刺激量が違います。
つまり、モグザの加熱は一定ではありませんし、揉み療治やハリも人の手で実施する以上はバラツキが多いですから、刺激が不均質、不均等になるので、刺激としては機械よりユニークに働くものと考えられます。
ただ、人間の好みは「深く、強く」を求めやすく、揉み療治なら強く、ハリなら多く深く、灸なら熱くということになりやすく、どうも無駄な面が出てきそうです。
こうした皮膚や筋肉を刺激する方法は、皮膚や筋肉を緊張させるという面があります。
特に、筋肉を刺激する治療法の受け過ぎは、筋肉をほぐすどころか逆に筋肉を硬くしてしまいます。
つまり、筋肉が治療の刺激で鍛えられて硬くなり、筋肉が治療の刺激を受けることに慣れてしまい、筋肉自身の自然回復力を妨げることになってしまうからです。
この点、同じ刺激という立場から見ると、整体術(法)やカイロプラクティックなどのような手技の効果は、ほとんど同じものとも言えそうです。
こうした手技療法は、定められた関節や靭帯、筋、腱などに、適正な質の、適当な量の刺激を正確な角度で加え、東洋医学で言うところの気血(きけつ)の滞りを取り除いて、自己治癒力を引き出す治療法と言われています。
こうした手技療法は、筋肉ではなく、関節にアプローチするという点が大きな特徴となっています。
つまり、関節を操作することによって、関節を動かして、関節に運動させることで、関節を中心とした組織に刺激を与えているのです。
こうした手技は、一般的には、骨のズレを治していると誤解されているのですが、実は、正確には関節を動かすマッサージをしていると理解したほうが、技術の内容をより実態に近い形で理解できるものと考えられます。
手技そのものの技術は、機械のように正確にはいきません。
その日どころか、その施術の最中にさえ多少の違いがあります。
違いがあるからこそ、その有効度を維持できるわけです。
こうした手技療法にかかると、今まで痛くてたまらなかった腰の痛みなどが、アッというまに消滅してしまうということがあります。
ところが、人は刺激にはだんだんと慣れてきてしまいます。
このことは、自分で関節の音を鳴らす癖のある人には理解しやすいと思います。
最初は、関節をバキッとか、ポキポキ鳴らすと気持ちがいいものだから、その気持ち良さにつられて関節をついつい鳴らしてしまい、それを繰り返すことになってしまうわけですが、ずっと関節の音を鳴らすということを続けていると、鳴る音も小さくなってしまい、最初の頃のような気持ち良さがなくなってしまします。
それでも、癖になってしまっているものだから、やはり関節の音を鳴らすことは止められなくなってしまっています。
関節を操作して、関節に刺激を与える手技療法には、こうした面があるのです。
手技療法の場合も、この点が最大の短所になっています。
最初の1回では、確かに劇的な効果を上げることがあります。
ところが、しばらくすると骨や筋は徐々にゆがみ出し、また元のように背骨や筋肉の組織や細胞を圧迫し出します。
そこで、また手技療法にかかると正常に戻ることができます。
このようなことを繰り返していると、体自体が手技療法の刺激を求めるようになってしまうのです。
言い方を変えれば、体が刺激に対して慢性化し、より強い刺激を求めるようになってしまうとも言えるでしょう。
こうならないためには、手技療法では、できるだけ刺激を弱くして、治療を受けるように図ることが必要になってしまいます。
こうした手技療法では、体が治療の刺激に馴れないようにして、治療の刺激の有効性をできるだけ維持するためには、どうしても週に1回とか、多くても週に2~3回というふうに、ある程度治療の間隔を空ける必要があります。
というもの、毎日治療を受けていたら、すぐに体が治療の刺激に慣れてしまい、治療が効かなくなってしまうからです。
また、治療と治療の間隔を詰めて連続して行なうと、どうしても体に治療の刺激を与え過ぎる結果となってしまうために、かえって治療の刺激で体を害することになり、どうしても期間を空けざるを得ません。
ですから、体癖を修正して体を作り変えるためには、できるだけ矯正の間隔を詰めて繰り返し行なった方がいいのですが、それができないというジレンマに陥ってしまいます。
力学整体では、そのようなジレンマに陥ることはなく、むしろ、毎日でも矯正を行なうことが可能です。
なぜ、力学整体では、それが可能なのかについては、後ほどくわしく説明してゆきます。
「強い直接(刺激)法」と「弱い直接(刺激)法」
『強い直接(刺激)法』と『弱い直接(刺激)法』
刺激を外から直接に体に加えるという治療方法を受けたりしていたら、クセになってしまいます。
クセになってしまったら、もう同じ治療の刺激を加えても自然治癒力は働いてくれにくくなってしまいます。
自然治癒力を働かせるための治療の刺激が、逆に自然治癒力を働かせられなくなってしまうという皮肉なことになってしまうのです。
こうした現象に遭遇した治療者の中には、治療における刺激は弱くて少ないほうがよいのだと考える人達が登場するようになります。
このような考え方は、多かれ少なかれ、どの治療法にも見受けられます。
このように主張する説を、力学整体では『弱い直接(刺激)法』と呼んでいます。
強くて、多い治療の刺激によって、かえって体を悪化させてしまっているという事実に着目して、こうした反省から同じ治療法でありながら、従来の治療の方法を批判しているのです。
この従来の方法を、力学整体では『強い直接(刺激)法』と呼んでいます。
同じ「直接(刺激)法」でありながら考え方が異なるため、それらを理解しやすいように区別して呼ぶようにしているのです。
「弱い直接(刺激)法」は、弱くて少ない刺激こそが自然治癒力を働かせることになるのだという考え方を支持しています。
この「弱い直接(刺激)法」が、もっとも強調するのは自然治癒力です。
人間には自然の偉大な治癒力がそなわっており、その働きには驚異的な力があるのであるから、「自分の自然治癒力を信じるべきだ」と考えています。
そうして、この自然治癒力というものを最大限に評価して、それをより良く働かせるには、むしろ、弱くて少ない刺激のほうがいいのだと考えるわけです。
弱くて少ない刺激を与えてあげたほうが、自然治癒力は働いてくれるのだと考えているのです。
それに、『強い直接(刺激)法』では、多量の強い刺激をハードな形で直接加えるため、その技術には危険性がともなうのに対して、『弱い直接(刺激)法』では、少なくて弱い刺激を直接にではあるがソフトに与えるので、その技術も比較的安全だと主張しています。
これに対して、『強い直接(刺激)法』を支持する立場からは、なるほど『弱い直接(刺激)法』の見解は一応もっともではあるが、それでは、せっかく自然治癒力を働かせるための刺激としては、刺激の絶対量が足りないという場合があり、刺激不足のために現実的には治療の効果を上げることは難しいという反論がなされています。
つまり、『弱い直接(刺激)法』の理屈はもっともだけれども、それでは現実に良くすることはできないと言うのです。
現実に効果がないのでは、理屈はどうであれ、治療法としては致命的な欠陥だと言うのです。
しかも、たとえ効果があるとしても、弱くて少ない刺激では、即効性がなく、治癒するまでの時間がかかり過ぎてしまうという短所もあると言われています。
『弱い直接(刺激)法』では、与える刺激量が少量であるため、日常生活の中での通常の刺激や他の治療法によって別の刺激が与えられると、その少量の刺激が減殺されてしまうことがあります。
そのため、少量の刺激の効果を確保するために、勢い日常生活で中での禁止事項が多くなってしまったり、患者さんが他の治療法を併用したい場合でも禁止せざるを得ない場合などもあり、患者さんの治療法の選択権の幅を狭めてしまい、患者さんの治癒への道を閉ざすことにつながりかねないという結果になってしまうと批判がなされています。
また、『弱い直接(刺激)法』では、少量の刺激量しか与えてられないので、前回の治療で与えた刺激が残存していた場合、その上に治療を施して新しく刺激を与えてしまうと、すぐに刺激量が治療の必要量を超えてしまったり、前回の治療の刺激と新しい治療による刺激とが衝突してお互いの刺激が減殺し合ってしまうということが考えられます。
それなのに、ごく微量の刺激量なだけにそれらを測定することは不可能に近く、毎回の治療で適量の刺激を与えることは技術的にも困難であると批判されています。
この場合、『弱い直接(刺激)法』では、どのような対策が取られいるのでしょうか?
やはり、ほとんどが毎回施術を行なっているのではないでしょうか?
そのため、『弱い直接(刺激)法』の中には、来院した患者さんを毎回治療するのではなく、前回の治療の刺激が残存している場合には、治療をしない回を設ける工夫をしている場合もあります。
しかし、患者さんが通院のためにかける時間と費用などの労力を考えると、問題がないとははいえないと指摘されています。
さらに、『弱い直接(刺激)法』では、刺激量が微量であるために、治療による刺激がどのような経路で具体的に作用しているのか、治療と効果の因果関係が漠然としていて明確でないのという点が指摘されています。
そのため、患者さん自身にもどのように効いているのかがよくわからないために、患者さんの自覚症状だけに治療の効果を期待できないので、効果がはっきり現われにくいという欠点を補うための診察方法や検査方法を導入している場合もあります。
その結果、本来治療というものは、患者さん自身が直接に自分の「からだと対話」をしてゆくことが一番重視されるべきなのに、診察や検査の結果に術者や患者さんがとらわれてしまう原因になっている場合もあります。
患者さんには自覚症状があるのに、診察や検査の結果が問題なければ異常なしという本末転倒の現象がまかり通りかねないと懸念されています。
それ以前の問題として、その診察方法や検査方法自体で本当にきちんとした診察や検査ができているのか、という診察方法や検査方法自体に対する疑問も提出されています。
それに、『弱い直接(刺激)法』は、自然治癒力というものを大きな根拠としているわけですけれども、人間の生体には、自然治癒力とともに、あらかじめ自己の肉体を破壊する力(自己破壊力)もプログラムされており、その両方が同時にそなわっているのが生命であって、その自然の働きによって病気にもなるし、死さえももたらされるのであるから、そうした自然と生命というものを「生と死」の両面から全体としてすべてまるごと見つめるべきであり、いたずらに体内の一方だけのはたらきである自然治癒力という一面のみを取り上げて過大評価すべきではない、と考えられるのです。
生物に病気と死がプログラムされているという事実を忘れて、「人は、病になり、必ず死ぬ」という事実を受け入れておかなければ、治療ということも片手落ちになるのであり、それを受け入れてはじめて治療ということが成り立つのである、とも言えます。
それに、弱くて少ない刺激でも、やはり刺激を外部から直接与えているという点では、同じなのであるから、遅かれ早かれ体は弱くて少ない刺激にも馴れてしまうことには変わりがないわけで、その場合はどうするのかという問題があります。
体が刺激に馴れてしまった後で、これまでの刺激ではもう効かなくなっているのに、あくまでも弱くて少ない刺激にこだわり、そのまま同量の刺激量を与え続けているだけでは効果はありません。
その反対に、効かなくなったからというので、効かせるために刺激量を増加してゆくのでは、もはやそれは『弱い直接(刺激)法』ではなくなって『強い直接(刺激)法』になってしまうのであって、結局、『強い直接(刺激)法』が抱える問題は何ら解決されていないことになります。
つまり、効果のなくなってしまった同質の刺激を同量だけ与え続けるだけでは良くすることはできないのに、弱くて少ない刺激とうことにこだわりとらわれてしまって、そのほうが強くて多い刺激よりいいんだと言い張って、そのまま同じだけの刺激を与え続けるだけでは、無益であるとしか言うほかはありません。
さらに、効果がなくなってしまったからというので、弱くて少ない刺激を新たに強くて多い刺激に変えていったのでは、『弱い直接(刺激)法』が批判している『強い直接(刺激)法』と何ら変わるところがなく、結局は同じことではないか、ということになります。
こうして、同じ治療法の内部でも、『強い直接(刺激)法』と『弱い直接(刺激)法』との考え方の違いがあり、それぞれがお互いに対立しているわけですが、『弱い直接(刺激)法』の立場でも、やはり同じ『直接(刺激)法』ですから、『強い直接(刺激)法』の問題は、依然として解決されないまま残されているのです。
これまで、治療の本質である刺激という観点から、『直接(刺激)法』の治療法について考えてきました。
この刺激という観点から、治療法を見てみると、ほとんどの治療法が『直接(刺激)法』であることがわかります。
こうした『直接(刺激)法』の治療を受けると、体に刺激を直接与えるので、いかにも治療をしてもらったという満足感があります。
しかし、こうした『直接(刺激)法』の性質を知れば、できるだけ「直接(刺激)法」の治療の刺激を避けたほうがよいということが理解できます。
たとえば、1回の治療で、いろいろな治療法の施術を受けるとか、それも長い時間にわたってやってもらうと、確かに患者としては治療をしてもらったという満足度は高いかもしれません。
けれども、『直接(刺激)法』の性質を知れば、いろいろな治療の施術を受けるとか、長い時間にわたって治療を受けることが必ずしもいいことではないということが分ります。
つまり、体には、不必要な『直接(刺激)法』の治療の刺激を受けないほうがいいのです。
治療の施術は、できるだけ受けないほうがいいのです。
できたら、受ける治療の施術は最低限度に留めてもらい、治療にかける時間もできるだけ最低限度の短い時間にしてもらったほうがいいのです。
患者としては、いろいろやってもらった方が、早く良くなって、得なような気がしますが、『直接(刺激)法』の本質を知れば、力学整体の主張も理解していただけるものと思います。
こうした『直接(刺激)法』の治療は、対症療法として短期間だけ施術を受けるとか、あるいは、本当に時々しか施術を受けないという利用の仕方であれば、それは有効な利用の仕方であるし、それほどの問題はありません。
しかし、症状などが慢性化している場合には、根本から体質を改善しなければなりませんから、どうしても長期間にわたって連続して矯正してゆかなければなりませんが、この『直接(刺激)法』では問題があります。
ましてや、予防医学とか未病のためにということで、健康法として『直接(刺激)法』の治療を受け続けることには問題があるのです。
ここで、大きな誤解をしてほしくないのは、『直接(刺激)法』の治療は全く駄目だとか、効果がないなのだというふうに言っているのではないのです。
『直接(刺激)法』の性質をよく理解して、その上で『直接(刺激)法』の治療をうまく利用するようにしてほしいと説明しているのです。
【補足】
手技療法の中には、『強い直接(刺激)法』を「直接法」と、『弱い直接(刺激)法』を「間接法」と呼称している独立した技法があります。
さらに、この後の説明の中でも、『直接(刺激)法』に対する『間接(刺激)法』という考え方が登場してきます。
そこで、この『直接(刺激)法』と「直接法」とが、『間接(刺激)法』と「間接法」とが混同されるおそれがあるので、ここで少し説明を補足しておきます。
なお、専門的な内容に関心がない人は、この補足の説明を読まれなくても内容の理解には支障がありませんので、読み飛ばしていただいても結構です。
また、ここでの説明が理解しにくい場合には、この後の『間接(刺激)法』の項目を読まれてから、再度、この補足説明を読まれると理解しやすくなっているはずですので、後から読まれても構いません。
まず、『直接(刺激)法』と「直接法」、『間接(刺激)法』と「間接法」とでは、同じような言葉を使用していますが、分類方法が違いますので、まったく異なる概念であることをご理解ください。
「直接法」と「間接法」という言葉を使用している手技療法では、矯正する方向を基準にして分類がなされています。
つまり、関節が変位している場合、変位した関節を元に戻すために、変位している方向と反対に元に戻す方向へ矯正する技法を「直接法」と呼び、変位している方向と同じ方向へさらに関節を移動させて刺激を加える技法を「間接法」と呼んでいます。
これに対して、『直接(刺激)法』と『間接(刺激)法』は、体に刺激を与える技法が、直接的なのか、それとも間接的なのかという観点を基準にしている分類です。
それでは、それらの関係がどうなるのかを見ていきましょう。
最初に、「直接法」の技法についてですが、これは関節に瞬間的な押圧を加えて、強い刺激を与えるので『強い直接(刺激)法』に分類されることになります。
そして、「間接法」の技法は、関節をわずかに移動させて、関節とその周囲に直接弱い刺激を与えるので『弱い直接(刺激)法』に分類されることになります。
「直接法」と「間接法」では、矯正する角度と方向は違うのですが、どちらも直接に刺激を加えているという観点からは、同じ『直接(刺激)法』ということになります。
間接(刺激)法
間接(刺激)法
体を直接に刺激するという治療法というのは、治療の刺激がクセになるまでに病気を治しきれないと、治るまで何回も何回も体に刺激を受けるということを繰り返すことになってしまいます。
しかし、その刺激の繰り返しが体を悪化させる原因になっているわけですから、治療がクセになり、『治療中毒』や『治療依存症』になるくらいなら、はじめからそうした治療などを受けないほうがいいわけです。
ほとんどの人は、そのことがわかっていません。
『直接(刺激)法』の治療を見ていると、そうした有害な面があり、患者さんの立場からいうと重大なロスと言えます。
ところが、この『直接(刺激)法』の問題を解決する方法があるのです。
ちょっと考えてみればわかることなのですが、直接に刺激を体の外から与える治療法自体に問題があるわけですから、刺激を体の外部から直接に与えなければ良いわけです。
人体の基礎構造がもっている自然の力を発揮できるような方法を考えるとよいのです。
体に、直接に刺激を与えないで治療することができれば、からだが治療の刺激に馴れてしまい、その治療の刺激がクセになってしまい、さらに、強い刺激を加えてゆかなければならないという『病と治療の悪循環』を繰り返し、『治療中毒』や『治療依存症』に陥らなくて済みます。
しかし、ほとんどの治療法が『直接(刺激)法』であるのに、そのような方法が本当にあるのでしょうか?
それが、力学整体なのです。
力学整体の矯正治療の目的は、体に直接刺激を与えて治すというのではなくて、全身のバランスをとるというところにあります。
したがって、その矯正技法も、体に直接刺激を与えるためのものではなくて、身体の均衡を整えるためのものです。
力学整体は、従来の刺激を直接体に与えて治すという治療法ではないので、そのため、患者さんには直接的な刺激が体に感じられないので、ちゃんと治療してもらったという感じがしません。
何だか、もの足りないような気がしてしまい、こんなことで本当に良くなるのだろうかという頼りない印象を、患者さんが受けがちなのも、そこに大きな理由があるわけです。
力学整体では、人体の力学的な構造の均衡を整えて、全身の総体的なバランスをとることによって、身体に適度な緊張と弛緩が生まれ、その緊張と弛緩が体にとって刺激となるのです。
いわば、全身のバランスを整えることを通じて、間接的に体内に刺激を生み出しているのです。
こうした力学整体の矯正法を『間接(刺激)法』と言います。
刺激ということについて、もう少し考えてみましょう。
みなさんの中には、力を与えて、力を加えるだけが刺激になると誤解されている人が多いようです。
実は、力を入れる時よりも、力を抜く時の方が刺激になることもあるのです。
力を与えたり、力を加えたりするというのは、弛緩した状態から緊張した状態にもっていっているわけです。
この弛緩した状態から緊張した状態への段差が、刺激になるわけです。
言い方を変えれば、静止した状態から活動する状態にしているわけです。
そして、力を抜くというのは、緊張した状態から弛緩した状態にもっていっているわけです。
この緊張した状態から弛緩した状態への落差も、また刺激になるのです。
同じように言い方を変えれば、活動している状態から静止した状態にしているわけです。
弛緩から緊張(静止から活動)への差、緊張から弛緩(活動から静止)への差、これこそが刺激となるのです。
『間接(刺激)方』である力学整体では、『体縮』を解消して、『体癖』を修正しながら、「体形の歪み」を正すことで、体内に緊張状態と弛緩状態の変化を起こして、力を生み出したり、力を消したりしながら、刺激を作り出しているのです。
つまり、刺激とは変化なのです。
「刺激」の効果の図解
刺激と効果の関係図 |
『間接(刺激)法』の効果について考えてみましょう。
コレコレをやれば、シカジカの効果があるとすることは、コレコレの効果がそれしかないということになって、効果というものを限定してしまうことになってしまいます。
『間接(刺激)法』である力学整体では、『直接(刺激)法』のように、コレコレをやれば、シカジカの効果があると言うことはできません。
そういう意味で、何々の病気とか症状を治す治療法ではないのです。
力学整体では、『体縮』が解消されて、体形のバランスがとれてくると、なんとなく体が軽く気持ちがいいから、それでいいのはないでしょうか?
『間接(刺激)法』の効果の図式
『間接(刺激)法』⇒(効果)+α(プラスアルファ) |
力学整体と間接(刺激)法
『直接(刺激)法』では、ある一定の刺激を特定の部分に与えれば、その刺激に対応した効果があるとされています。
そのため、その刺激に対応しない効果というものは期待できません。
これに対して、『間接(刺激)法』では、そもそもある効果を目的にして刺激を与えている治療法ではないので、こういう効果があるなどとは言えません。
矯正治療を受けたからといっても、何の効果もないのです。
ただ、力学整体では、全身のバランスがとれるだけです。
しかし、これを逆から言うと、どんな効果が副産物として飛び出して来るかわからないわけで、それこそいろんな効果があるとも言えるわけです。
力学整体は、体育(からだをそだてる)なのであって、治療法ではないという意味もそこにあります。
ですから、効果というものも、体が整ったことによる、いわば”おまけ”みたいなものなのだと言えるかと思います。
しかしながら、力学整体が『間接(刺激)法』とはいうものの、力学整体では、『体縮』現象によって『体癖』がつくられ「体形」が歪んでゆくメカニズムがわかっているので、股関節の角度と全身の筋バランスの関係が理論上解明されているだけでなく、臨床統計上からも、股関節と角度と病気や症状との対応関係が明確に判明しており、他の治療法で効果がなかった場合や予期しない事態にも臨機応変に対応することが可能で、治療において重要な「予測可能性」も高く、矯正治療の「適応範囲」は広いながらある程度区別が可能です。
『間接(刺激)法』というと、言葉のイメージから、刺激を直接に与える『直接(刺激)法』よりも、何やら刺激を間接に生み出すというのだから、刺激としては少量になるのではないかと思われがちです。
ところが、そうではありません。
その人の必要に応じて刺激は生み出されるのです。
『体縮』と『体癖』の程度に従って、必要とされる刺激は違います。
『体縮』が長時間にわたって強く起こって来ており、『体癖』が複雑に作られてしまい素直でなく悪い人ほど、それを修正するために必要とされる刺激量は増加してゆきます。
それに対して、『体縮』が起きてから短時間しかたっていなくて、『体癖』が素直で良い人ほど、それを修正するために必要とされる刺激量は減少してゆきます。
「体形の歪み」が大きく複雑な人は、それを直すための刺激量が多量に必要ですし、「体形の歪み」が小さくて単純な人は、それだけ少量の刺激で済みます。
そして、力学整体では、『体縮』と『体癖』の程度が重症でひどい人ほど、『体縮』が解消され『体癖』が修正される度合いが大きく、その過程で、体内でも大きな変化が生まれ、治癒するために必要とされる強くて多くの刺激が作られることになるのです。
それに反して、『体縮』と『体癖』の程度が軽症でそんなにひどくない人では、『体縮』が解消され『体癖』が修正される度合いも小さく、その過程で起こる体内の変化も小さく、治癒するのに必要なだけの弱くて少ない刺激しか作られません。
こうして、その人に応じた適量の刺激が作られることになるのです。
しかも、その刺激は、『体縮』や『体癖』が存在する「体形のゆがみ」がある場所で、自然に発生するのです。
したがって、治療するポイントや個所(治療点)を苦労して、時間をかけて診察や検査をしながら見つけ出さなくても、それよりも正確に『体縮』や『体癖』がある部分で、それらの程度に応じた変化は起こるのですから、的確にその場所で、しかも適量の刺激が作られるというわけです。
その刺激が発生する場所というのも、体表だけに限らず、体内の浅部〔(または表在性):外側に近い部位、特に骨な内臓器官の表面〕から深部〔(または深在性):身体の内部、特に骨や内臓器官〕にまで及びます。
その上、その刺激は自己の体内で作り出されるわけですから、『直接(刺激)法』のように刺激が体外から与えられるため、その治療の刺激がある患者さんには合うけれど、ある患者さんには合わない場合もあるということがありません。
自分の体に最も合った「適正」かつ「適性」で「適切」な『質』の刺激が作られ、体がその刺激に対してクセになるということもありません。
矯正治療によって『体縮』が解消され、『体癖』が修正されて、「体形のゆがみ」が整ってくれば、治癒してくる経過に従って、体内での変化も小さくて少なくなってきますから、発生する刺激量も自然と減少してきます。
つまり、体内には『刺激自動調節機構』がそなわっているるため、治癒する過程で回復した程度に応じて『刺激自動調節機能』が働いて、必要な刺激量は自動的に調節されるのです。
『直接(刺激)法』の施術のように、経験と勘(カン)に頼って刺激量を考慮しながら治療する必要もないのです。
すなわち、自然治癒力が働けない原因となっていた『体縮』が解消されて『体癖』が修正されてくると、障害が除去されるわけですから、これまで十分に働けなかった自然治癒力が発動を開始しはじめます。
この発動の開始は、自己の体の内からの力によるものですから、体の外からの直接的な刺激によって動かされたものではないので、自然治癒力は自力と独力で働けるようになっています。
ですから、体外から刺激を直接に入れて、自然治癒力を鞭打つようなマネをしなくても、自然治癒力が自分のほうから働き始めるのです。
そうして、自然治癒力が自分独りで働けるようになってくると、体の中でつくられる刺激のほうも弱くて少なくなってゆくのです。
これは、力学整体が根本療法であるからこそ実現できることで、体内の『刺激自動調節機構』によって「適質」、「適量」、「適所」の刺激が「製造」、「配剤」、「配置」されるのです(『最適刺激生産作用』)。
しかも、『間接(刺激)法』でありながら、股関節の角度と筋バランスの異常は、本人には症状の変化としてストレートに現われてきますから、本人も股関節の角度や筋バランスと、症状との因果関係を疑うことができないほどにはっきりと認めることができるようになります。
そして、矯正とその効果を本人自身が自覚でき、矯正においてもっとも大切な「からだとの対話」が直接にできるようになります。
そのため、矯正前の意味のない無駄な診察や検査も不要になります。
また、股関節で矯正された角度と筋バランスを元に戻す行為さえしなければよいのですから、その禁止(厳禁動作)にさえ違反しなければ、『間接(刺激)法』である力学整体は外部から直接に刺激を与えているわけではないので、他の治療法を制限することがなく、いろいろな治療法との併用も可能で、患者さんの選択権は拡大されます。
たとえば、脳障害の場合では、その機能の回復をはかるために、刺激というものを大量に脳へ与えて治療するという方針が取られ、体の治療とは別の考慮が必要になります。
そのような脳への大量の刺激でさえも、『間接(刺激)法』であるがゆえに、その治療上においてお互いの治療が矛盾することはないのです。
ところで、『直接(刺激)法』には、治療がクセになって、『病と治療の悪循環』に陥り、『治療中毒』にかかってしまうことから、なるべくならその危険を回避するために治療を必要以上に受けないほうが良いという経験側が働きます。
そのため、その治療は、あくまで治癒するまでのものであって、予防医学や未病とか、健康法として利用しにくいという面があります。
しかし、『間接(刺激)法』である力学整体は、そのようなことがないので、治療のみでなく、予防医学や未病としても、健康法としても安心して大いに活用できるのです。
そこに、力学整体のひとつの大きな特徴があるのです。
力学整体でも、矯正が進んでゆくと、最初の頃のように、矯正後に体が楽になったとか、効いたという感じがしなくなったということがあります。
しかし、それは『直接(刺激)法』のように、治療がクセになったというのとは違います。
「体形のバランス」が回復した結果、体内で起こる変化が小さくなったのです。
つまり、体がよくなったので、体内で発生する刺激も少なくなったために、そうした変化とか刺激を感じなくなってきたというわけです。
治療がクセになって効かなくなったのではなく、体がよくなってきたということなのです。
この点を、誤解しないようにしてほしいと思います。
ですから、力学整体では、治療によって体が楽になるとか、治療が効いたと感じるような体の状態では、まだまだだと考えるのです。
力学整体では、治療が効かないような体にならないといけないと考えているのです。
以上の説明で、『間接(刺激)法』である力学整体の内容をご理解していただけたかと思いますが、長年患者さんに接していると、やはり力学整体の施術を誤解されていらっしゃる方がかなりいらっしゃいます。
特に、礒谷式力学療法の施術を受けられた経験のある患者さんにその傾向が見受けられます。
というのも、礒谷療法では、股関節のズレ(亜脱臼)を矯正するという考え方が中心となっているために、股関節のズレを矯正して、ズレた状態の股関節を治すという発想が底辺にあるために、ズレが矯正されて股関節がハマったかどうかを基準にして判断することになります。
そのため、その矯正はかなり角度が深く、施術の力も強くなります。
施術を受ける患者さんの側も、矯正の角度が深くて、強い施術を受けると、股関節が矯正されたと考えがちになります。
つまり、股関節の個所で、施術の強い刺激を感じると、きちんと矯正されたように感じるわけです。
そして、何だか施術の矯正が効いたように思うわけです。
ですから、もっと施術を強くしてほしいと望まれる人がいらっしゃいますが、それは勘違いなのです。
そのような前提に立たれて、力学整体を理解しようとしても、それは間違いです。
『間接(刺激)法』である力学整体は、股関節にそのような刺激を与えることを目的にして治そうとしているのではありません。
ここまで読まれて来た人は、それが誤解であるということは理解できると思います。
力学整体の矯正は、股関節とその周囲の筋肉系を基点として、全身の筋バランスを基準にして施術を行なっています。
したがって、礒谷療法のように股関節をハメるということだけを考慮しているわけではないのです。
ですから、その矯正の角度も、深い場合もあれば、浅い場合もあります。
また、その施術も、強い場合もあれば、弱い場合もあります。
ですから、人によって、力学整体の矯正と施術は、かなり印象が違ってきます。
しかし、それらは、股関節部に刺激を与えて治そうとする矯正や施術では、決してないのです。
そこのところが重要な点なので、よく理解してくださるようにお願いします。
(つづく)