肩こりが一発で治る【肩こり一発解消】
肩こりがたった1回の整体施術で治ったという肩こり一発解消の整体体験談を私に話してくださった尊敬と敬愛する恩人Sさんの思い出をを紹介しているページです。
肩こりが1回で治った!
人生と心のメンター
「肩こり」というと、何人か思い出す人物がいますが、第一に、心に残っている人物はSさんです。
そのSさんには、Sさんの生前に、私は随分とお世話になりました。
人生の岐路に立たされた時などには、Sさんによく相談をしたものです。
当時は、まだ私が20代後半から30代前半の青年だった頃で、今(2017年現時点)から約25年前の思い出になります。
Sさんは、普段は余り話をされない物静かな人物でした。
Sさんに相談すると、自分の考えを押し付けるのではなく、親身に私の立場になってくれてアドバイスをしてくれるのです。
ですから、私も、Sさんのアドバイスを素直に聞けて、だんだんと私はSさんを信頼するようになっていきました。
Sさんは、当時の私にとって人生のよき師メンター(Mentor・指導者・助言者)といもいうべき存在でした。
私のそれまでの人生でSさんのように全幅の信頼を寄せて相談できる人物に出会ったのは初めてのことでした。
Sさんとの出会い
当時、Sさんは東京の礒谷療法所(礒谷式力学療法所)では20年来のベテランの患者さんでしたが、私が弟子になってから講習生(研修生)としても勉強とお手伝いに来られていました。
Sさんの心情を慮るに、礒谷療法(礒谷式力学療法)の勉強のためというよりも、ボランティアで礒谷療法所(礒谷式力学療法所)のお手伝いをして、患者さんのお役に立ちたいというお気持ちがあったのだと思います。
というのも、ある日、両側の股関節脱臼だったか、両側の変形性股関節症だったか、はっきりとは覚えていないのですが、股関節疾患の患者さんが来院したとき、「わしにはあの患者さんの股関節矯正は無理だから、あんたがやってくれ」と私におっしゃったのをはっきりと覚えています。
Sさんが勉強のために来ていたのなら、股関節脱臼や変形性股関節症の患者さんの股関節矯正を行うのは良い経験になるため、私に矯正治療を依頼するようなことはされなかったと思われるからです。
Sさんはあくまでも患者さんのことを第一に考えていたのであり、Sさんとはそういう人でした。
そのことは、Sさんが礒谷療法所(礒谷式力学療法所)へ来られたときは、必ず患者さんの身近に寄り添って礒谷療法(礒谷式力学療法)のことを懇切丁寧に説明していた姿でも伺い知ることができます。
しかも、Sさんは私に自分は礒谷療法(礒谷式力学療法)で治療院を開業するつもりはないと語っていたのです。
治療院を開業するつもりのないSさんが、なぜ礒谷療法所(礒谷式力学療法所)へ講習生(研修生)として毎週来ていたのかその理由を推察するに、やはり礒谷療法(礒谷式力学療法)の仕事を無償でも手伝いたいというお気持ちがあったのだと思います。
Sさんは礒谷療法所(礒谷式力学療法所)の仕事が終わった後、時々私を食事に誘ってくださって、いろいろ私の話を聞いてくださいました。
当時の私はまだ若く、社会経験も少なかったこともあって礒谷療法所(礒谷式力学療法所)で勤めながらも、職場に不満を感じるようになっていたり、人間関係にも悩みを抱えるようになっていたため、Sさんにはそんな私の愚痴を聞いていただいていました。
Sさんの礒谷療法(礒谷式力学療法)の初体験
Sさんは、礒谷療法所(礒谷式力学療法所)が中野に移転する以前の、随分昔に礒谷公良氏が京都から上京して開業した大塚に礒谷療法所(礒谷式力学療法所)があった頃からの古い患者さんでした。
そのSさんから、私が直接聞いた話をここでしましょう。
Sさんは、物心がついた頃から、ひどい肩こりに悩まされていたそうです。
結婚されてからも、奥さんに毎日のように肩を揉んでもらっていたようで、奥さんからは「私は、あなたの肩を揉むために結婚をしたようなものだ」と言われていたそうです。
肩こりがひどくなると、仕事中でも、近くのあん摩やマッサージの治療院へ駆け込んで、揉んでもらっていたそうです。
長年、そのような状態でずっと過ごされていて、ある時、知人から良い治療院があるからと言って紹介されたのが、当時は大塚にあった礒谷療法所(礒谷式力学療法所)だったそうです。
ところが、治療法について、何の予備知識もないまま行ったものだから、礒谷公良先生が矯正治療してくれるといっても、脚だけしか診てくれないし、脚だけしか施術をやってくれないので、思わず、
「先生、わしは足は悪くないのです。肩が悪いのです」
と言ったそうです。
そうすると、礒谷公良先生は、
「ああ、わかっとる、わかっとる」
と答えられたそうです。
当時はまだ、礒谷公良先生は礒谷療法(礒谷式力学療法)について十分な説明をしていなかったのかもしれません。
礒谷公良先生はわかっていても、Sさんは何が何だか全然わかっていなかったわけです。
肩こりが一発で治る(肩こり一発解消)
それで納得できるはずもなく、仕方なくそのまま治療を受けたわけですけれども、礒谷療法所(礒谷式力学療法所)からの帰り道でSさんの身にある出来事が起こったというのです。
それは、肩が非常に気持ち悪くなっていたということです。
帰る途中で、肩が非常におかしく感じるようになっていたそうです。
肩に違和感をおぼえるようになっていたというのです。
どうしてなのか?
なぜなのか?
そこで、はたと気づかれたそうです。
肩こりがなくなっていることに!
物心がついてからというもの、肩こりがなかった日なんてなかったわけで、それが矯正治療によって肩こりがなくなってしまっていたので、肩がおかしく感じていたというのです。
つまり、肩こりの状態が慢性化していて、肩がこっている状態が当たり前なっていて、肩こりがないなんて状態をそれまでは経験したことがなかったのです。
だから、肩こりがなくなっている状態を、非常におかしく感じ、自分の肩ではないような違和感をおぼえたというのです。
Sさんは礒谷療法(礒谷式力学療法)による矯正治療で、物心ついたときからの長年にわたる重症の肩こりが一発で治る(肩こり一発解消)という治療体験をしたのです。
股関節矯正の効果
それからというもの、Sさんは、健康維持と健康管理をかねて、20年近くにわたって時々礒谷療法所(礒谷式力学療法所)にお世話になっていたということであった。
Sさんの矯正治療を担当していたのは、礒谷公良先生だったそうです。
当時、私は、その話をとても面白く聞かせていただきました。
Sさんは、まだ小さな頃に、自転車ごと溝に落ちてしまう事故にあったことがあって、その事故で全身が動かなくなってしまったことがあるということも聞かせていただきました。
それで、近くで柔道をやっていらっしゃる柔道家の先生にみてもらうことになって、その柔道の先生は、全身の関節がズレとると言われて、あっちこっちの関節をポキポキと整復してくれて、そしたら、何と、動けるようになったことがあるという経験を過去にしたというのです。
だから、わしはこの治療法で股関節を矯正することで全身がよくなることが理解できると言われていました。
確かに、長年多くの患者さんに接していて思うのは、股関節を矯正することで首こりや肩こりなどの上体の症状が改善されることをなかなか理解できないようで、むしろ理解できる人のほうが極端に少ないということです。
股関節の矯正で、肩こりが一発で治った(肩こり一発解消)などの臨床例は少なからずありますが、肩こりが一発で治る(肩こり一発解消)とまではいかないまでも、肩こりが1回で良くなったとか、肩こりが1回で改善したとか、肩こりが1回で軽くなったなどの症例は少なくありません。
ましてや、複数回の通院による股関節矯正による肩こりの効果を示す有効例は数多くあります。
股関節矯正と冷え性の効果
それから、Sさんからは、もう1つ、面白い話を聞かせていただきました。
Sさんは、肩こりだけでなく、ひどい「冷え性」もあって、毎年9月になるともう炬燵(こたつ・コタツ)をして寝ていたというのです。
それが、矯正治療を受け始めてから、9月を過ぎても自分でも気づかずに炬燵(こたつ・コタツ)をしないで寝ていて、とうとう12月になって奥さんのほうが、
「あなた、炬燵(こたつ・コタツ)をしなくてもいいの?」
と言い出したということです。
それまで、本人は、冷え性が良くなっていて、炬燵(こたつ・コタツ)をしないでも眠ることができていたことに、まったく気がついていなかったと言うのですから、まるで笑い話のような嘘みたいな話だなあと思いました。
しかし、ご本人の人柄を知っている私は、その話を疑ったことはありません。
礒谷療法(礒谷式力学療法)の伝承者はあんただけ
Sさんには、いろいろと本当にお世話になりました。
礒谷療法所(礒谷式力学療法所)にいた頃、Sさんは私に
「礒谷療法(礒谷式力学療法)を受け継ぐことができるのはあなたしかいないのだから、あなたの仕事は菊池秀男先生からできるだけ礒谷療法(礒谷式力学療法)の知識と技術と経験を盗むことだ」
と言われていたのを思い出します。
礒谷公良先生亡き後、当時、高弟の菊池秀男先生と反中武雄先生の就いてお二人から直接知識と技術を教わり学び、礒谷療法(礒谷式力学療法)を習得するために修行し経験を積むことができたのは私一人だけだったからです。
大型船の有能な船員でも小型船の船長にはなれない
私に他の治療院から引き抜き(ヘッドハンティング・ヘッドハント)の話があったときなども相談に乗っていただき、引き抜きの相手(ヘッドハンター)に会っていただき話し合いをしてくださったこともよく憶えています。
Sさんは自分では独立・開業するつもりはないが、私が独立・開業してその場所が都内だったらボランティアで私の治療院の手伝いに来てくださると言ってくださっていました。
Sさんが自分で独立・開業する気がないのは、過去に会社の倒産の悲惨さを目の当たりした経験があるからだということでした。
会社の社長というのは経営のストレスで時には血の小便(しょうべん)を流すことがあるというのです。
社長は顧客や取引先、社員に対してそれほど重い責任を負っているのだと言うのです。
そして、優秀な社員の誰もが社長になれるわけではないのだと教わりました。
社長と社員では必要とされる能力がまったく異なるのだと言われました。
だから、たとえ大型船舶の有能な船舶職員でも、小型船舶や小さな漁船の船長にはなれないのだとおっしゃるのです。
それを優秀な社員であればあるほどそこを誤解し、収益に対する自分の貢献度を勘違いし、自分でやったほうが稼げると独立・起業するのだが、みんな失敗してしまうと言うのです。
社員が事業で成果をあげられたのはバック(背後)に会社の看板があり、個人ではなく会社の信用があるからこそ契約や取引、仕事ができているのだと言うのです。
当時、Sさんは石油会社を定年退職したのだけれども、社長に請われて経営に関する顧問をしているということでした。
Sさんは社内には優秀な社員は大勢いるが、社長になれるような後継者はなかなかいないとおっしゃっていました。
私が独立・開業したら小さな治療院だけれども院長になるわけで、院長の仕事はそういう難しい経営者の仕事なのだから覚悟と勉強が必要だと教えてくださっていたのだと思います。
私はSさんからその話を伺い、自分に治療院の経営などできるのだろうかという独立・開業への不安と、それでもやらなければいけないという心構えがそなわった気がします。
しかし、それでも私がSさんから教わった言葉の本当の意味を知るのは後に独立・開業してからのことでした。
私にとってSさんは、本当に人生の師匠のような存在でした。
Sさんの死
私がSさんの訃報に接したのは礒谷療法所(礒谷式力学療法所)で勤務中のことでした。
まさに急死でした。
Sさんの死因は確か脳卒中(脳出血かくも膜下出血)だったかと思われます。
つい先日(数日前に)会ったばかりのSさんがまさか亡くなるなんて考えてもいなかった私にとってSさんの死亡の知らせはあまりにも突然のことでした。
Sさんが突然亡くなられた時のショック(精神的衝撃)は言葉では言い表せません。
Sさんが亡くなったと知った時、私は人生の師を失ってしまったような気がしました。
当時の私にはまだまだ未解決の深刻な問題が残されており、これから先、誰に相談し誰から助言を受け誰に指示を仰げば良いのか、どうやって自分の人生の問題を考え判断し決断していったらいいのだろうと絶望に近い思いをしました。
Sさんの自宅へ礒谷俊子(礒谷圭秀)二代目院長と一緒に通夜に伺った帰り道、私はこれまでに経験したことのない悲しみに涙が止まりませんでした。
私はSさんの人格に触れて、自分もSさんのような人間になりたいと思いながらも、まだまだ、その思いは果たせていません。
私にとっては、Sさんとの思い出は、かけがえのない大切なものとなっています。