慢性腰痛でも就職できた!

慢性腰痛で就職を諦めかけた大学生のNさんが無事に就職できた整体師の思い出を紹介しているページです。

慢性腰痛でも就職できた!

大学生のNさんとの出会い

私が礒谷療法所(礒谷式力学療法総本部)に患者として通院していた時から見習いとして弟子に入った頃まで、唯一患者仲間とも呼べるNさんという人物がいます。

実は、私がNさんと知り合いになったのは、私が礒谷療法所(礒谷式力学療法総本部)へ弟子として入ってからでした。

私がはじめてNさんを意識に留めたのは、Nさんが礒谷療法所(礒谷式力学療法総本部)へアルバイトに入った時でした。

実は、Nさんより先に事務長のCさんほうから、私のほうへ礒谷療法所(礒谷式力学療法総本部)でアルバイトをやってみないかという話があったのです。

アルバイトというのは職員や弟子と違って技術を教えてもらうのではなく先生の助手として座蒲団を運んだり院内の掃除をしたりなど雑用・雑務をする仕事です。

私はそのアルバイトの話をすぐに返事ができなくて、よく考えてから数日後に事務長のCさんのほうへアルバイトをやらせてもらいたい旨を伝えたら、そのアルバイトの仕事はNさんに決まってしまっていたのです。

私はアルバイトでも礒谷療法所(礒谷式力学療法総本部)の仕事が手伝えると大層嬉しかったので、Nさんに決まったことを知って大変がっかりしたのを憶えています。

その後、すぐに礒谷俊子(礒谷圭秀)二代目院長からこの仕事を手伝ってみないかと誘われ、私のほうはバイトではなく弟子として入ることになりました。

当時の礒谷療法所(礒谷式力学療法総本部)の職場では、若い者といえば20代前半のNさんと20代後半の私しかいなかったせいもあって、お互いに親しくなってゆきました。

Nさんは私のことを知っていた!?

Nさんによれば、私が患者として通っていた頃から私のことを知っていて、私が長時間屈伸運動を頑張ってやっている姿を見て凄い人がいると思っていてくれたようで、私に負けないように自分も頑張ろうと思っていたということを聞かされました。

当時の私は治りたい一心で矯正治療に専念していて一心不乱に屈伸運動をやっていましたから、自分のことしか見えておらず、礒谷療法所(礒谷式力学療法総本部)にどのような患者さんが来ているのかなど他の患者さんのことは気にも留めていませんでした。

ですから、患者時代の私は当然、Nさんのこともまったく知りませんでした。

それなのに、Nさんのほうではちゃんと私に注目してくれていたことに驚きました。

それと同時に、私の頑張りがNさんの励みになっていたことを知って嬉しかったのを憶えています。

腰痛で就職を諦める?

私と親しくなったNさんは自分の身の上話をしてくれるようになりました。

Nさんは、出身は埼玉県久喜市で、当時は東海大学の理系の大学生で、その時点で大学4年生であるため就職を間近に控えているということでした。

ところが、腰痛がひどくて就職するのを諦めようかと考えているということでした。

Nさんは既に内定が決まっている会社があったのですが、内定している会社への就職を断念して就職浪人をしながら1年間は腰痛の矯正治療に専念したいという計画というか希望を持っていました。

しかし、Nさんの両親は就職浪人に反対していて、Nさんはどうしようか悩んでいるようでした。

Nさんの腰痛は、急性のぎっくり腰(ギックリ腰)のような激しい激痛ではないけれど、決して軽くはない慢性の腰痛ということでした。

電車の座席に座っているだけでも腰が痛くなってしまうというのです。

そのため、就職してデスクワークなどの椅子に座ってする仕事が心配で恐かったようです。

Nさんの腰痛は、確かに普通の人の腰痛とは違っていました。

Nさんの矯正治療は極端な角度で過度に矯正しなければならないほどだったからです。

根が深いというのか、筋金入りの粘り強いしつこい腰痛でした。

Nさんはジャニーズ系のハンサムな青年なのに、腰痛がひどいのでガールフレンドの彼女とつきあうどころではないと歎いていました。

就職までに腰痛を治そう!

Nさんから身の上話を聞いた私は、私も協力するから何とか就職までに間に合わせるように腰痛を治そうと提案しました。

そして、就職にまで腰痛が治らなければ、その時はそのときでそれからのことを考えようと言いました。

Nさんは私の提案に同意してくれて、就職までに何とか腰痛を治すよう努力してみると言ってくれるようになりました。

それから、Nさんの矯正治療は私が担当することになりました。

Nさんの就職まではあと数カ月しかない切羽詰まった状況でした。

果たして就職までにNさんの慢性の腰痛が改善するのか、当時弟子になったばかりの見習い程度の私には見通しもつきませんでしたし自信もありませんでした。

ただ、何とか間に合って欲しいという強い思いがあっただけでした。

Nさんと就職へ向けての二人三脚が始まりました。

Nさんは毎日のように通って来て矯正治療を受け、自らも努力して屈伸運動を頑張っていました。

努力の甲斐があって、Nさんも何とか就職をしてみようかと思えるようになるまで回復して来ました。

そして、Nさんは無事に内定の決まっていた会社へ就職することができました。

この時ばかりは、私も本当に良かったと思いましたし、私にとってもとても嬉しい出来事でした。。

というのも、私は自分の病気や症状で就職を断念し諦めていた苦い過去があったからです。

Nさんは就職後も1カ月に1回はほぼ定期的に通院して矯正治療を受けながら何とか仕事を続けることができました。

Nさんから後から聞いた話によれば、来院した時は何も言わないかったのですがやはり腰の調子が悪くなっていたそうで、それが矯正治療を受けると良くなっていたそうです。

Nさんに教えられる

私が礒谷療法師として比較的短期間で矯正治療の腕を上げることができたのはこのNさんのお陰と言っても良いです。

Nさんは、礒谷療法(礒谷式力学療法)の礒谷療法師としてはまだ見習いのような私に快く練習台になってくれたからです。

お互いに若かったこともあって礒谷療法(礒谷式力学療法)の探究心に溢れ研究熱心で、Nさんは練習台だけではなく実験台にもなってくれました。

そのお陰で、私は礒谷療法(礒谷式力学療法)の礒谷療法師として腕を上げるだけでなく、礒谷療法(礒谷式力学療法)の矯正治療についても新しい知見を得ることができました。

当時、Nさんは礒谷療法(礒谷式力学療法)の脚型で矯正治療をしていたのですが、その矯正角度はまるで股関節脱臼か変形性股関節症の疾患ある患者さんのように極端に強度な角度で矯正治療をしていました。

反中武雄先生は、Nさんの矯正治療は股関節脱臼か変形性股関節症の患者さんでさえ実施しないような方法でやっていたので、股関節が脱臼してしまわないか心配だとおっしゃっていたほどです。

通常であれば普通の患者さんがそのような角度で矯正治療を行えば却って症状が悪化したり身体の調子が悪くなるものです。

ところが、Nさんはそのくらい過度な矯正角度で矯正治療をしないと腰の調子が良くならないと言っていました。

Nさんはそのように過度に左股関節を矯正治療をした直後に背中の右側が張ってくるとうまく矯正ができたと言っていました。

Nさんにとって右背筋の緊張がうまく矯正ができたかどうかのメルクマール(判断基準・指標・目印)になっているようでした。

ある日、Nさんはかなりの睡眠不足で来たことがあるのですが、その日に限ってこれまでになく股関節の検査でも矯正でも固かったことがありました。

それで、睡眠不足だと股関節周囲の筋肉系の柔軟性が失われるのだということも判明しました。

その結果はその後の矯正治療にも役立たせることができるようになりました。

患者であるNさんから教えられ学ぶことが多かったわけですから、私にとって礒谷療法(礒谷式力学療法)の恩人とも言える人物です。

Nさんの体験治療

Nさんは礒谷療法所(礒谷式力学療法総本部)へ来院する前は、五味雅吉氏の自然良能会で骨盤調整法を受けたこともありました。

実は、Nさんには、当時私が興味や関心を持っていた操体法や十次式健康法、自律整体などの治療法をやっている治療院へも施術を受けに行ってもらっていました。

それで、Nさんに実際に施術を受けた体験を聞かせてもらっていたのです。

Nさんの体験治療は私にとっても参考にさせてもらいました。

でも、結局は、Nさんの腰痛にとって最も効果があったのは礒谷療法(礒谷式力学療法)でした。

Nさんとのその後

その後、Nさんは就職した会社を辞めて転職しました。

私が礒谷療法所(礒谷式力学療法総本部)を辞めるとき、NさんはK・Fさんと一緒に三人で飲み会をしてくれて、Nさんとは長い付き合いでしたが初めて一緒に居酒屋で飲んだりカラオケ屋へ行って歌を歌ったりしました。

私が地元の赤穂へ帰る前、Nさんは餞別にプレゼントとして腕時計を贈ってくれました。

私が地元の赤穂市で開業してから、Nさんは自動車でK・Fさんと一緒に赤穂まで遊びに来てくれました。

その後、Nさんは腰の調子がおかしくなって、私のもとへ電話がかかってきたことがあります。

「やはり矯正治療は冨岡さんにやってもらわないと駄目なのかもしれない」と言うのです。

私の矯正治療を受けるために、私のいる赤穂まで引っ越すと言うのです。

Nさんはご両親やご兄弟など家族が埼玉にいらっしゃるし、友人や知人など人間関係はすべて向こうにあるので、できれば赤穂へ来ない方が良いと私には引越には反対の気持ちがありました。

その後、Nさんの腰は持ち直したようで、引越をしないで済みました。

私もほっと安心しました。

私が礒谷療法所(礒谷式力学療法総本部)を辞めるときNさんに対して責任感を感じていましたし、やはりNさんの腰のことがずっと気がかりだったので良かったと思いました。

Nさんとは現在も年賀状のやりとりをしています。

その後は、Nさんからは体調について何も聞いていなし、何かあれば相談してくれると思うので、何とか元気でやっているのだと安心しています。

私が礒谷療法(礒谷式力学療法)の礒谷療法師として自信が持てるようになったのもNさんのお陰と言って良く今でもずっと感謝しています。

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